善悪無記(形而上学的な概念 AI)
善悪無記とは、善でもなく、悪でもない。
1️⃣「善悪無記(ぜんあくむき)」とは、、
仏教用語で、「善でも悪でもなく、そのどちらの結果ももたらさない性質」を指します。
一般的には「無記」と略されます。主な特徴は以下の通りです。
三性(さんしょう)の一つ
仏教では、あらゆる事象を性質によって以下の3つに分類します。
善(ぜん):
安らかな結果(楽報)をもたらすもの。
不善(ふぜん):
苦しみの結果(苦報)をもたらす悪。
無記(むき):
善とも悪とも記述(記別)できない中立的なもの。
具体例
日常の無意識な動作(歩く、座る、呼吸するなど)。
単なる事実や知識、無色透明な心の状態。
これらはそれ自体で道徳的な報い(業)を生じさせません。
有覆(うふく)と無覆(むふく)
無記はさらに2つに分けられます。
有覆無記(うふくむき):
悟りを妨げる煩悩(執着など)はあるが、質が弱いため悪とまでは言えない状態。
無覆無記(むふくむき):
悟りを妨げることもない、完全に純粋で中立な状態。
✅🎯釈尊の「無記」
また、釈尊(ブッダ)が、、
「世界の終わりはあるか」
といった形而上学的な問いに対し、
修行の妨げになるとしてあえて答えなかったことも「無記」と呼びます。
2️⃣ 善悪無記(ぜんあくむき)とは、仏教用語で行為や心が「善」でも「不善(悪)」でもない中性的な状態を指す。
善い結果や悪い結果をもたらさない(異熟果を招かない)行為や心のありよう。
根本的に人間の心は善悪に染まらない「無記」であり、縁によって善悪どちらにもなり得る中立的な存在とされる。
詳細な解説
意味と由来
無記(むき):
善でも悪でもなく、善悪の判断ができないもの、あるいは結果が明確に予告できない行為。
三性(さんしょう):
仏教ではすべての行為や心を、善・不善(悪)・無記の三つに分類する。
「心」のありよう
心自体は根本的に善悪に染まらないため、過去の悪行や善行によって心が永久に染まることはない。
「心の蔵」は常にニュートラルであり、悪行を積んでも瞬時に悪人に、善行を積めば善人に、やり直しが可能とされる。
「無記」の具体例
日常の動作:
歩く、座る、呼吸する、食事をするなどの行為自体は、それだけでは善でも悪でもない。
心(心所):
集中している時(定)や、ただ単に知覚している時などの状態。
派生的な意味
「無回答」:
釈迦が形而上学的な問い(この世は永遠か、など)に対して答えなかったこと(✅🎯十四無記)に由来する。
この概念は、人間の心が白無垢のようにニュートラルであり、後天的な精進や善行の積み重ね次第でいかようにも人生を変えられるという希望を示す教えでもある。